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2006年10月16日 (月)

まうりつぃお、まうりつぃお(其の弐)

バンコク某日。
仙人はまじめな男にききました。
お前が落としたのは、ポリーニのコンサートのチケットか?
それとも、バリーニのコンサートのチケットか?
それとも、桂米朝一門会のチケットか???


なだいなださんは、最近は教育評論家や
老人党をいう団体を主催されていることで有名なようだが、
本来は精神科医であり、作家だった。
ぼくは若いころ、彼の作品をたくさん読んだ。
ファンのぼくとしては残念な限りだが、
最近は古本以外では入手が難しいようだ。

『帽子を・・・』という作品は、作者がその当時
興味を持っていた評論というものを題材にした作品だ。

ある街に、『教皇』とあだなされるクラシック音楽の
評論家がいた。
どんな演奏者も彼がいいといえば、スターになったし、
また、彼によって、演奏者としての生命を絶たれた者も
数多くいた。
彼の評論は『ローマ教皇』のように絶対だった。

彼がなぜそのような存在になったのか。
それには、一つの伝説があった。
彼は、もともとオペラの歌手だった。
そして、デビュー公演で決定的な成功をあげる。
いままでに誰も聞いたことのないような、
すばらしい歌手だったのだ。

ところが、成功したオペラの幕後に受け取った、
花束の花粉でぜんそくを患い、
かれは、たった一晩の成功を最後に
演奏者としての生命を永遠に絶たれてしまう。


しかし、彼はその後音楽の評論家として、
その後の人生を送ることになった。
評論家というのは、難しい仕事だ。
評論される者は評論家にいう。
なら自分でそれ以上のことをしてみろと。
トルストイを語る者は、それを上回る作品を書かねば、
彼を評論する資格をえられないのか。

だが、彼のたった一晩の成功と栄誉は、
彼を完全無欠な評論家にするに充分だった。

あるとき、『教皇』のもとにひとりの黒人の歌手と
そのマネージャーがたずねてきた。
これから、この町で公演をするにあたり、
その前に『教皇』に彼の歌を聴いてほしいということだった。

『教皇』は彼の歌を聴いて、彼の歌はうまいけれども
歌手としてはなにかが足りない

歌の教師としての人生を歩みなさい、とアドバイスする。
そして、わたしは彼の公演後、そのことを書くことになるだろう。

しかし、『教皇』は自分ではそのことは書くことはなかった。
何者かの手によって、『教皇』のもとに花束が届けられ、
彼の公演期間はぜんそくで寝込んで
いたからだ。

にもかかわらず、黒人の歌手は公演で大成功を収めていた
『教皇』によって、絶賛された記事が新聞に掲載された
からに他ならなかった。
誰かが『教皇』の代わりにそれを書いたのだ。

3年後、もう一度、その歌手とマネージャーはその町に
公演をするためにやってきた。
マネージャーはまた『教皇』に面会を求め、謝罪した。

3年間、あの記事のおかげで、黒人の歌手は一生分稼ぐ
ことができました。
もう本当のことを書いていただいてけっこうです

『教皇』はもちろんそのつもりで彼の公演に出かけていった。

3年間の成功した歌手生活の中で、
黒人の歌手は3年前には持っていていなかった何かを
確かに手に入れていた。

信じられないと思いながらも、『教皇』はつぶやいた。

「帽子を、、、天才なんです。」
(2005年08月24日)


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