« ビールのある風景 | トップページ | 陸マイラー »

2006年7月23日 (日)

帯久

バンコク某日。
あたまのてっぺんに毛が3本、
って、それはオバQ。。。

ぼくは米朝原理主義者である。
なかでも、帯久(おびきゅう)という落語が好きだ。

あるとき、おおだなの呉服屋・和泉屋与兵衛のところに
帯屋久七がお金の無心にやってくる。
和泉屋は、この同業者のよくない評判はきいていたものの、
困ったときはお互いさまと、気持ちよくお金を貸してやる。
帯久は、ちゃんと期日にはお金を返した。

こんなお金の貸し借りが数度に及んだが、
ある返済時、和泉屋は返してもらった百両を
うっかりしまわないまま、部屋に帯久を置いて用にたった。

残された帯久は、返したばかりのお金を再び自分の懐に入れ、
それを元手に今まで不調だった商売を盛り返す。
反対にそれ以後不運が続いた和泉屋は、
かつての使用人に面倒を見てもらうばかりに落ちぶれた。

数年がたって還暦を迎えた和泉屋は、
面倒をみてもらった元の使用人にもう一度チャンスを与えるために
かつて面倒をみた帯久のもとをたずねた。

ところが、お金を工面してもらうどころか、
帯久にタタキだされた和泉屋は、
怒りのあまり帯久の店に火を放つものの、
未遂のままに奉行所に捕らえられる。

当時の火付けは、死刑にも値する大罪である。
なぜ、和泉屋与兵衛がこのような行為に及んだかを知った
奉行の松平大隈守は帯屋久七に
百両は預かっていたと言わせたうえに、
金利分はどうする?と尋ねた。

根がけちな帯久は、奉行の知略とも知らずに、
50年間一両ずつ、金利分を返したいと申し出て受理される。

そのあと、和泉屋与兵衛に火付けの罪は火あぶりである旨、
言い渡した奉行の松平大隈守であったが、
金利分の受取が終わった50年後に刑を執行する
と宣言したのであった。

ぼくがこの話が好きなのは、きっと勧善懲悪であるからであろう。

奉行の松平大隈守は、神のような視点で正義を執り行った。
まじめに正直に生きていた和泉屋与兵衛は救われ、
恩知らずの帯久は、その強欲さからお灸をすえられることになる。

法は完全ではないが、それを取り扱う人間によって、完全になる
っていうのが、かこいいぃ、のだ。

まじめに生きるのはしんどい時がある。
なんでぼくだけが、って思うときもある。
でも、帯久のようにはなっちゃいけないなって、
自分を戒めることにしている。
(2005年07月12日)

22

« ビールのある風景 | トップページ | 陸マイラー »